十人十色など無い、人間はみな同じ

私は唯一無二の存在なんだと言えなくなった。
だからみんなを撒き沿いにして所詮人間に過ぎないと言おう。

ツイッターを非公開に設定した。
私が私であると言い続けていたかったし、それを認められたかった。
私自身が面白コンテンツになる事を強く願っていた。
しかし与えられた発表の場では低い期待値さえ満たせない惨めな人間がいる。
しょうもない人間だ、なのに餌を求めて鳴いている。
その声が誰かに届けば簡単に餌がもらえるんじゃないかと煩く喚いている。
餌を求めて鳴いている姿がキモすぎて本当に消えたくなった。

ニートになってから自分の体臭が気になって、誰にも会うわけでもないのに毎日風呂に入らなきゃ嫌になった。
これは、特別な事ではない。
Yahoo!で「自分の体臭が気になる」と検索をかけると約3,150,000件の検索結果。
ワードを変更して検索を続けるともっと沢山出てくるだろう。
自己臭恐怖症とでてきた、思春期妄想症の一種だそうだ。
しかし今回はそれに当てはまらない、
何故ならこの症状は対人がいることで成り立つことだからだ。
過去の自分の方はそうだった、なのでニートが終わればやってくる症状だろう。
話がそれた、今私に当てはまるもの、それはたぶんストレス臭なのだろう。
資生堂がストレスを受けたときに体から発生する「ストレス臭」の成分を特定したと発表したと記載があった。
何も特別な事ではない、私は特別な人ではない、人間だ。
ストレスを感じたときに皮膚の表面から放出されるニオイの成分は「ジメチルトリスルフィド」「アリルメルカプタン」というそうだ。
特有の硫黄化合物だそう、
ジメチルトリスルフィドは玉ねぎの臭気、アリルメルカプタンはアリインとアリイナーゼがアリシンになりアリルメルカプタンになったもので、
分かりやすく説明するとニンニクを食べた後に発生する臭いやつだ。
ストレス臭とはその辺の匂いという訳だ。
人間みなストレスを感じると全く同じ匂いを出すのだ。
自分だけが特別なことは何もない、ストレス臭対策のデオドラントも沢山存在する。
多くの人間に需要がないと製品など生まれない。
人間は体内から皮膚を通して気体を放出する、この期待は体調、加齢、食べ物によって変化するそうだ。
ストレス臭の対処で必要なのはストレスを軽減することとある。
その中で紹介されていることにハンドマッサージがある。
人間は個体差あれど皆同じところに血管がありリンパが存在する。
私は人間なので人間を調べて見つけた全く同じことを行い効果を実感する。
しかしストレス臭がすべてだとは感じない。
なぜなら頭皮がかなり気になるからだ。
私は男性に頭をぽんぽんされるというシチュエーションに1萌もしない。
私は確かに彼氏ができたことがないので全てにおいてひねくれ卑屈になっている節があるがそういうのが問題ではない。
頭皮が臭い気がするから頭にマジで触られたくないと潜在意識に刷り込まれていた。
頭皮の匂いが気になる人間も大量に存在する。
何も特別ではない、みんな大体頭皮は臭い。
頭皮は額や鼻など油の分泌が盛んな部位の2倍も盛んに皮脂が出てるらしい。
油は酸化すると臭い、科学で証明されている。
そして油は雑菌の餌だ、雑菌は臭い。
何故雑菌が臭いのか、主な雑菌の名前はモラクセラ菌ではないかと推測する。
(しかしこの菌は洗濯物の雑菌なので違うかもしれないけど原理は同じなのでスルー)
モラクセラ菌が臭いのではなく、モラクセラ菌のフンのようなものが匂いの原因だ。
これも科学的に証明されている。
人間はそれらの生物と共存しているに過ぎない。
嫌なら沸騰したお湯につければ死滅するらしい、
さすがに頭皮でそれを実行できないので多くの人間が困っている。
頭皮から菌を排除するのではなく、菌に断食させるのがいいのではないかという事だ。
適度にクレンジング効果のあるシャンプーをする。
そうして皆人間は生きていくのだ。
頭皮の油分のバランスが崩れる原因は不摂生な生活だ。
不摂生を極めて栄養失調になれば油分もなくなるかもしれないが、
中途半端な不摂生な生活は人間の皮膚をテカらせる。
人間はみな同じ構造なのだ、何も自分だけが特別ではない。

私は変わらず風呂に入り適度に頭皮の油分を除去しバランスの良い状態に保てばいいし、
ハンドマッサージをしてストレスを感じる環境から逃避すれば
初期人間と同じ人間の匂いになる。

私は急に「神聖かまってちゃん」を欲した。
今までの人生で「神聖かまってちゃん」を欲したことは無かった。
友人が聞いていたので「友達なんていらない死ね」という歌を聞いてみたがうるさくて仕方がなかった。
まるでノイズ、たまったもんじゃなかった。
しかし今日の私は「友達なんていらない死ね」が心地よくて「神聖かまってちゃん」をとにかく聞いている。
気持ちが落ち込みきったらこんなに音楽の印象が違うんだ・・・
と自分は今エモーションな気持ちの中で自分を唯一無二の存在であり尊いと感じた。
が、その動画のコメント欄を見ると同じ事が沢山書いてあり多くの賛同の数があった。
すごく恥ずかしくなった、人間は同じ型にはまり自分を美化するんだと思った。
私はこの落ち込みを誰かに気づいてほしくて「神聖かまってちゃん」を利用していたのだろうかとさえ感じた。
いや、そうだ。
「神聖かまってちゃん」の音楽をまるで自分の歌のように感じた自分に溺れようとしていた。
そしてコメント欄はそのような人間で溢れていた。
みんなでわかる~と言い合っていた。
私もわかる~って言っていた。わかる~って思ったからわかる~って言った。

成人式の後の同窓会、
私は参加しなかった。
私の参加しなかった理由は参加したところで話せる友人がいないと考えたからだ。
私が仲良くしていた子達誰一人同窓会に参加しないと言っていたからであって
私自身は参加を拒否していたわけではない。
なんならかなり行きたかった。
しかし参加するとバイキングだけ皿に取り分けてしゃべりより食うのに夢中を演じる羽目になると予想し
話したい人と話せない劣等感をより感じると感じ辞めた。
成人式の後から色んなSNSで繋がっていない同級生のツイート画像が
何故かつながっていた同級生のいいねで私の目に入る機会が増えた。
沢山拡大してじっくり見たが、もう二度と見たくないという気持ちになった。

つい先日、なんとなく中学生時代の同級生のSNSを探っていた時
その同窓会の写真をまた見ることになった。
私が行かなかった事実がそこにあって、
私は自分を守るために大きな後悔を作ってしまったんだなあと切実に感じた。
写真を見れば見るほど辛くなり、その写真はしっかり脳裏に焼き付いている。
私は自分の気持ちを静めるためにそこに映る人間はただの人間だと強く念じ意識した。
ここに映る人間は、この時間この会場に用意された食事を食べ
吸気中の酸素を取り入れている。
そして心臓の筋肉を激しく動かし血液を全身に巡らせ
胃の中に取り入れた食事から栄養分をエネルギーに変える。
そしてエネルギーにならなかったものを糞にする。
つまりみんな少なからず糞を抱えてこの会場にいるのだ!と。
そのようにあの写真をみていたら
あの頃は有名人のようだった先生方も
自分とは住む世界が違うように見えた華のある同級生も
なーんだ、みんなうんこ製造機じゃん
という気持ちになれたのでぐっすり眠れた。